淡交の効能

  • 2008.03.28 Friday
  • 13:15

どんなに親しい間柄でも、飲んだり語りあった後は、ジァ−またね−と家路に。
それが普通で、そのことによって水の如き交友が保たれると言うもの。
つまり深い仲は淡い交友が生む、ということになる。

夫婦の仲はどうだろう。

惚れあって結婚した男女が“一緒にいたい”と思う度合いは人それぞれ。而して、子育て中の妻は、夫にいつも側にいて手助けしてほしいと願う。


それがどうだろう、子供が一人前になれば、こんどはベッタリ側にいられるとお互いに(どちらかと言えば妻の方が)うっとうしいと思うようになる。

極論を言えば、子育てを終えた夫婦は一緒にいなくても良いということか。

 

会いたいときに会いに行く、いわゆる通うと云うことで、人間以外の動物の生態はそういう習性があるようだ。

霊長類の人間も動物の範疇、だとしたらそれに当てはまることになる。

“遠い心の仲は、近すぎる環境が生む”と言う。至極当然と思はなくもない。
相手を嫌いになったわけでなくとも、いつも一緒にいると“うっとうしい”と云う思いをお互いが持つもの。

だからか、夫婦には波風が立たぬよう自然と、得も言われぬ間合いがわかるようになる。


結果、結婚してウン十年経つと、夫婦でありながら世間を渡ってきた同志で戦友になりえる。

言い換えればアドリブ変化できる漫才コンビで空気みたいなもの。

「亭主たるもの、うっとうしいと思われないためにも、定年後は自立して生きなければならない。

妻からも子供からも当てにされなくなったときが、男にとってほんとうの自由になれるとき」と、退職されたMさんが話した妙に説得力ある言葉。

 

“知者は水を楽しむ”と言う。

離れる時間なしには、真の付き合いが長続きしないということか。

小生、職業がら、社務所兼住宅の我が家に大方詰めている事が多い。

事務や社務満帆を受け持つ妻とは終日、顔を突き合わせているようなもの。Mさんのように自立できずの小生には耳の痛い話。

それでも夫婦としていられるのは、考えてみればお互いが角を折っているからか。はたまた諦めているからか。


淡い関係はなかなか出来得ないが、傷を舐め合う運命共同体だから夫婦を保っているのかなと達観しているつもりではあるが。

 


 

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